英会話・留学体験談と漫画の描き方・研究|まさらぼ

検索結果

「 テニスの王子様 」の検索結果
  • 漫画の模写|テニスの王子様/スラムダンク/サンドランド
    サイトトップに戻る漫画の模写|テニスの王子様/スラムダンク/サンドランド■ テニスの王子様/許斐剛先生アシスタント応募用に描いたテニスの王子様の模写ペン入れ、スクリーントーン貼りまで作:25歳くらいの時当時漫画家になりたかった僕ですが、何をどうすればよいのかわからず毎日ずっと焦っていました。将来を悲観して、何か月も治らない謎の湿潤性の湿疹が顔にできたり、寝ようとすれば毎日のように金縛りにかかり30分で目が覚める始末・・・。そんな中、テニスの王子様の許斐剛先生がアシスタントを募集していて、2ページのカットが応募条件で指定されていました。何をすれば良いのかわからなかったので指定されていたことは有り難く、応募用のその2ページを描いて提出してみました。当時僕は千葉県の船橋市に住んでいて、その時調べた情報によると合っていたのかわかりませんが許斐先生も千葉県内に住んでいると言うことで、ダメもと中のダメもとで描いたにも関わらずちょっと現実的な事も考えちゃったりなんかして。描いてみて、プロの1ページの重さと自分の漫画の1ページの軽さとの圧倒的な差は理解できました。The view I saw every day when I was in my early twenties. It was the most anxious time in my life. pic.twitter.com/NlCS0eUOTu— まさ🎃英会話の練習とBitcoinLIFE (@masa_ts_english) June 20, 2022 20代前半の頃に毎日見た景色。僕の人生の中で最も不安な日々でした。■ スラムダンク/井上雄彦先生鉛筆で描いたスラムダンクの模写作:高校生の時スラムダンクあれから10日後 黒板マンガ作:2005年桜木花道のGIF画像(アニメーション)作:2020年■ サンドランド/鳥山明先生鉛筆で描いたサンドランドの模写2000年23号~同年36・37合併号まで週刊少年ジャンプにて連載作:高校生の時鳥山明先生のSANDLANDが好きで、高校生の頃に週刊少年ジャンプを見て連載中、漫画をよく模写していました!おまけ|井上雄彦先生のSLAMDUNKについてぴあ/BRUTUS10 DAYS AFTERプロフェッショナル仕事の流儀OTHER HANDSWITCHSLAMDUNK完全版イラストレーションズ2井上雄彦先生のSLAMDUNKが多分一番好きな漫画です。中学生の頃はバスケ部でしたし。エアージョーダン1も持っています。昔のポスターもしまってあります。色々スラムダンク関連が集めてあって今でも残してあって、改めてスラムダンク好きなんだなって思いました。なので2022年12月に公開される映画『THE FIRST SLAM DUNK』も楽しみ。今更僕が言わなくてもスラムダンクは名作中の名作中の名作で、特に山王戦のラストは臨場感が半端なくて、何度読んでも手に汗握るし涙腺も頬も緩みます。THE FIRST SLAM DUNKが山王戦を描いていたら嬉しいな。参照:https://slamdunk-movie.jp/そして、コミックス累計一億冊の感謝イベントの締めくくりとして2004年に神奈川県内の廃校になった高校校舎にて行われた、あれから10日後というスラムダンクの最終話10日後のストーリーを描いた黒板マンガのイベント、あれも最高でした。スラムダンクTVアニメ全話公開東映アニメーションミュージアムチャンネルYoutubehttps://www.youtube.com/※各話2週間の期間限定公開なのでお見逃しなく!漫画・イラスト情報をまとめてますWEBサイト トップページに戻る
    Read More
  • 許斐剛先生のテニスの王子様のアシスタントに応募してみた時の話ほか
    サイトトップに戻る許斐剛先生のテニスの王子様のアシスタントに応募してみた時の話ほかこんばんは!このページでは、僕のテニスが関わる苦い思い出3選を話してみたいと思います!■ アシスタント応募用に描いたテニスの王子様の模写テニスが関わる僕の苦い思い出①上の2枚の絵は許斐剛先生のテニスの王子様のアシスタントに応募してみた時に描いた絵です。ペン入れ、スクリーントーン貼りまでしてあります。25歳くらいの時に描いたもので、その時僕は漫画家になりたいものの、何をどうすればよいのかわからない暗黒時代を過ごしていました。■ 当時を振り返ったツイートThe view I saw every day when I was in my early twenties. It was the most anxious time in my life. pic.twitter.com/NlCS0eUOTu— まさ🎃英会話の練習とBitcoinLIFE (@masa_ts_english) June 20, 2022 20代前半の頃に毎日見た景色。僕の人生の中で最も不安な日々でした。そんな中、週刊少年ジャンプで連載中だったテニスの王子様の許斐剛先生のアシスタント募集がジャンプに書いてあって、応募条件に2ページのカットが指定されていたので描きました。アシスタントに採用される人はたぶん技術の他に、ある程度将来的な見込みがある人だったり、編集者さんと良好な人間関係が築けている人なのかなと当時も思ったのですが、如何せん(いかんせん)先の見えない日々を過ごしていたので、採用されるわけ無いって思っていましたけど、許斐先生のアシスタント募集に応募しました。漫画家の先生に憧れているってのはどの先生も同じですが、他に許斐先生を選んだ理由は2つありました。場所10年以上前のインターネットなので検索結果は今より全然悪く、僕の検索能力も低かったので本当だったのかわかりませんが、調べたら許斐先生の仕事場は千葉県内にあるっぽくて、僕は当時千葉県の船橋市に住んでいたので仕事場近いかもしれないっと思ったためです。ダメもとで描いたくせに現実的な事もちょっと考えてしまいましたスイマセン!カットの指定他の先生の募集には応募時に描くものは自分の実力がわかるものっと抽象的だったのですが、上記の通り許斐先生の募集だけこの2枚のカットが指定されていました。自分の実力を示す為に何を描けば良いのかすらわからないレベルだったので、指定があったことはすごく助かりました。しかし描き始めたら恐ろしく大変な作業で、とても勉強になりましたが何なんだこの地獄のような細かさは・・・と絶望的な気分になりました。僕の人生の中で1、2を争う手がかかった絵でした。あれを毎週描き続けるなんて異常ですね。プロの実力は桁違いだと思いました。原稿用紙に描いて、ポンコツネームを持って行った時に編集者さんに渡したため手元にあるのは折り目の付いたコピーが1部ずつなので、どうせダメなんだから描いた原稿用紙2枚 渡さなければよかったなと後悔しています。笑 ■ テニスボールを探していた記憶しか無い夏休みの記憶テニスが関わる僕の苦い思い出②高校生の頃に、中学生の時の学習塾の先生に呼ばれて、僕の友達も誘って夏休みにテニスを何回かやりました。僕は中学生の時はバスケットボール部で、高校生の頃はバレーボール部で、バスケもバレーボールもどっちも下手くそなんですが、テニスはもっと下手くそでした。どうも下手くそすぎて打ったボールがフェンスを越える事多発で、先生には怒られテニスボールを探していた記憶しかありません。そして僕だけ呼ばれなくなりました。苦笑ちなみにテニスも下手くそなんですが、サッカーも下手くそです。高校生の頃、体育の授業で得意げにサッカーをしていたところヘディングが異常に変だと友達に言われ、次の体育の時間からキーパーをするようになりました。■ 骨が折れてた野球の試合|バレー部VSテニス部テニスが関わる僕の苦い思い出③高校生の頃バレーボール部だった僕ですが、僕の高校のバレー部とテニス部が仲良くて度々野球の試合をしていました。なぜバレー部VSテニス部で野球なのか?って感じなんですが。で、翌日に野球の試合を控えた日の部活(バレー)の練習で、僕は左手小指を痛めてしまいました。(副部長に腹を立ててポールを殴ったら)どうにも痛かったんですが、楽しみにしていた野球の日だったので我慢して翌日試合に参加しました。僕の守備はレフトで、フライをキャッチするたび激痛が走りギャーっと叫び、攻撃ではバットにボールが当たるたび激痛が走りギャーっと叫んでいました。ギャーギャーうるさいので途中で病院送りにされ、レントゲンを撮ったら小指の骨が折れていました。ちなみに僕はバスケもバレーボールもテニスもサッカーも下手ですが、野球も下手です。苦笑 以上が僕のテニスの思い出3選です。全て痛い目にあっています。そんなこんなでインドアな僕が形成されたのでした。漫画・イラスト情報をまとめてますWEBサイト トップページに戻る
    Read More