こんにちは。このページには、
英語を中心とした語学留学体験談のアメリカ版(詳細:オレゴン州、ユタ州、メリーランド州)を載せています。
体験談と、勉強方法のアドバイスもあるのでこれから留学を考えている方や、語学に興味がある方にも役立つ記事になっているかと思います!
初公開日:2022年7月25日
最終更新日:2022年11月15日
留学先:
アメリカ オレゴン州
留学時期:大学生の時
留学期間:6ヶ月
名無しサン(女性)
私は大学生の時に、アメリカのオレゴン州に半年間留学しました。
その経験から、英語を話せるようになるにはネイティブの方と実際に話すのが一番だと感じています。
なので、可能ならばやはり留学するのがおすすめです。
もちろん留学は楽しいだけでなく、大変なこともたくさんありますが、その分学べることはたくさんあります。
しかし留学するにはお金や時間がかかりますし、いきなり留学は勇気がでないという人も多いと思います。
日本でネイティブの方と話す機会を探してみましょう。
英会話教室に通うのは、英語を学ぶ上でとてもオーソドックスな方法だと思います。
学生であれば英語や国際的なサークルに入るのもひとつの方法ですし、ネイティブの教授や日本語を学びに来ている留学生と話すこともできます。
ここまでは英会話の実践のお話をしてきましたが、話し相手がいなくてもできることはたくさんあります。
ひとつは、CDや動画サイトなどで英語を聴くことです。
英語を聴くだけで話せるようになるとは考えていませんが、耳を英語に慣らすことができ、リスニング力の向上につながります。
ただ、英語を聴くといっても音楽はおすすめしません。
英語の能力が十分に備わっているのであれば問題ないかもしれませんが、初心者にとって歌中の英語を聞き取ることは難易度が高く、十分な効果は得られにくいと感じます。
単なる英会話や英文であれば聞き流していても自然と耳が英語に慣れてくれますが、音楽の場合は常に集中していないと歌詞よりも音楽そのものに気を取られてしまい、英語に耳を慣らすことにつながらなくなってしまいます。
また、英語で日記を書くというのも、英語を学ぶ際にはよく言われる手段です。
他にも私が実践していた方法として、頭の中で何か考える際に全て英語にするというものがあります。
特に必要なものもなく、手軽に実践できるというのもポイントですが常に英語で考えることが会話の際にも手助けになりました。
最初はうまくいかないことの方が多いと思いますが、諦めずに学ぶ姿勢が何よりも大事だと思います。
英語を学ぶ方法はさまざまだと思いますが、自分の成長を感じることでさらに学ぶ意欲も湧いてくるのではないでしょうか。
留学先:アメリカ
オレゴン州ポートランド
留学時期:大学1年生
留学期間:1ヶ月間
moppyさん(男性)
19歳、大学1年生の春休みの時に一か月間、アメリカ合衆国のオレゴン州のポートランドという町にホームステイをしました。
当時の私は早く英語を話せるようになりたいと思っていましたが、日本にいて外国人と英語で話せる機会がなく留学をしたいと思っていました。
語学学校、ホームステイの料金、航空券、海外旅行保険を含めて一か月で40万円という留学費用はとても高かったですが、家族も応援してくれて張り切ってアメリカへ出かけていきました。
出発当日はホームステイのホストファミリーがどんな人なのかとても不安でした。
オレゴンの空港に着くとホストファミリーが迎えてくれました。私のホストファミリーは3人家族で、小学生の女の子がいました。
家はとても広くて庭にはバスケットゴールとプールがありました。夕食は必ず一緒に食べて家族でその日にあったことを報告し合いました。
3人とも私に気を使ってくれて優しい英語とスピードで話してくれました。語学学校が休みの土日はオレゴン州の観光地を巡りました。自然が素晴らしいところでした。
楽しい時間はあっという間でひと月の思い出は、“とても楽しかった”に集約されます。ホストファミリーとのお別れはとても寂しかったです。
一か月間毎日英語を使って生活をしたことで多少はレベルが上がったと思いますが、それ以上に帰国後に努力をしたことでさらにレベルが上がりました。
帰国後の勉強に関しては、留学中の楽しい経験がモチベーションになったと思います。
留学先:
アメリカ ユタ州
留学期間:1年間
Cさん(男性)
私はアメリカに1年ほど大学の制度を使い留学に行っておりました。留学に行ったのはユタ州というところで、そこは1Km圏内には「ウォルマート」というスーパーしかない超ド級の田舎でした。
寮生活で、1年間大きな怪我や病気もなく、グランドキャニオンに行ったり、個人的にマイアミに旅行もできたりと楽しく過ごすことができました。
しかし、事件は帰国の空港で起きてしまいました!
ユタ州からの直行便で日本の空港まで行く事はできないため、一旦シアトル空港でお昼の食事休憩も兼ねて1時間半ほど次の便を待っていました。
私は喫煙者なのですが、ユタ州からシアトル空港まで約3~4時間ほど飛行機に乗っていた私はもう我慢の限界でした。
お昼のハンバーガーをすぐに食べ終わり、一緒に留学に行っていた友達と喫煙所を探しました。しかしアメリカの空港は日本の空港とは違い、空港内に必ず喫煙所があるとは限りません。
空港スタッフに聞くと喫煙所は外にある様子。荷物チェックも含めて1時間ほどあるので、迷うことなく煙草を吸いにいきました。
煙草を吸い終わりスッキリした私たちは、荷物チェックに並んでいたのですが20分経っても列が進みません。
焦った私達は前の人に先に行かせてもらいチェックを終わらせ走ったのですが、目の前で他のメンバーを乗せた飛行機は行ってしまいました。
そこから私たちは必死にスタッフに内容を説明し無料で次の便を手配してもらうことができたのですが、その便は3日後。
仕方なく各自財布の中の全財産(2万円ほど)をあてにモーテルを探し、次の日から余ったお金でガムウォールなどを観光。
パイクプレイスというところにあるスターバックス1号店(後で調べたら2号店だった)、留学先に寮では飲むことのできなかったビール、1km圏内にあったクラブなど、完全にシアトルを満喫しました。
そんなこんなで無事に日本に帰ってこれたのですがその後大学の留学サポートの人にはこっぴどく怒られ、私たちは大学史上初の飛行機を乗り過ごして観光を満喫して帰ってきた奴らとして語られているそうです。
留学先:
アメリカ メリーランド州
留学時期:20歳の頃
Rさん(男性)
私は20歳の頃に、アメリカのメリーランド州にあるメリーランド大学に留学しました。
もともと異文化に興味があり自分の意思で留学を決意したものの、出発前までどこまで自分の英語が通用するのか心配でした。
日本を出発する当日は、母親と母親の姉が見送りに来てくれました。
両親も心配していましたが、私は「まあ、なんとかなるだろう」と思うように意識し、日本を後にしました。
アメリカに到着してから1週間ほどは本当に自分の英語が通じるのか毎日不安でしたが、次第に余裕が生まれてきました。
留学を開始してから3ヶ月経った頃に、ジョージアから留学に来ていた男性マネージャー(ビジネススクールの大学院生・カナダ人)、小学校の男性教諭(50代)、数学科に通う男子大学院生と、コンピューターサイエンスを専攻する女子大学生が住んでいる家に引っ越しました。
大家は、建築学科の男性教授(ロシア人)でした。
せっかく留学しているのだから、色々なタイプの外国人のいる物件がいいと思い、大学の近隣で部屋を貸しているお宅に電話をかけまくった結果です。
一緒に生活するうちに段々と仲が良くなり、1ヶ月経過した辺りからは夜中にテレビを見たり夕食を食べたり、お酒を飲んだりといったことをルームメイトとするようになりました。
男性マネージャーとは、ニュース番組を見ながらディベートをしたのも良い思い出です。
小学校の先生には、日本での数学の勉強の教え方について相談されたこともあります。
なかでもお酒を飲みながら、しりとりの英語版のようなものをルームメイト全員で集まってやったのが一番楽しかったです。アメリカの州名や動物の名前を使ったしりとりをしました。
それからすぐに別れてしまったのですが、入居して数ヶ月経過した頃から、数学専攻の男性とコンピューターサイエンス専攻の女性が付き合い始めました。
アメリカの恋愛事情も少し知れたりして面白かったですね。
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